全国に届け、鐵五郎さんの純粋な想い
山口商店 鐵五郎の三陸わかめ

おいしいからみんなに食べさせてあげたい。それだけの動機でわかめの早採りを始めて30余年。鐵五郎さんのわかめの魅力
大寒の海に舟をこぎ出し1日仕事
「わかめなんてみんな同じなのでは……」。そんな風に思いつつ『鐵五郎の三陸わかめ』を口に運んで噛んでみると、カリカリと音がする。この食感にまずは驚かされる。「これが綾里湾の早採りわかめでさぁ」。次々に箸をのばす取材者たちを笑顔で見守るのは、大船渡早採わかめ職人・山口商店の山口鐵五郎代表だ。
複雑に入り組んだ湾がいくつも連なるリアス式海岸。三陸はこの海岸の生み出す独特の潮流のおかげで世界三大漁場のひとつに数えられている。わかめも例外ではなく、質の良いものを養殖することができるのだそうだ。鐵五郎さん夫妻が住む綾里の村にはわかめ職人が多く、鐵五郎さんも22歳のときから50年超、わかめを採って暮らしている。
わかめの収穫時期は通常、3~4月。大きく育てるためには、1月ごろに小さな新芽を間引く作業が必要だ。間引かれたわかめはそのまま海に捨てられることがほとんど。だが、鐵五郎さんはていねいに籠の中に納め、上下を返しては型崩れしないように自然に水が落ちるように水揚げする。絞ったり押さえつけたりせず、自然に脱水するのでうまみが逃げないのが特徴だ。「これね、食べてみたらおいすぃんですよ。でも、生だからひもつ(日持ち)がしないんですがね。どんなに寒い時期でも、2日もしたらペタペタになってすぐダメになる」。ただでさえ手間がかかるうえに採れる量が少なく、そのうえ水分を無理やり絞ることをしないので、一度に運べる量もそう多くはない。寒い時期に外で1日中作業をしても、商売にならないと手を出す漁師はほとんどいないという。それでも鐵五郎さんが1月の海に舟を出すのは、「だってこれおいすぃからね」。

地道にそのおいしさを足で広める
近所に配ってみると、はじめはみんな「ウチにもわかめはたくさんあるから」と断ってくる。なにしろわかめ漁の村である。それでも「食べてみて」と置いていくと後日必ず「おいしかった」と言われる。なんとか商品化できないものか。綾里湾の漁業組合の見本市に出展したときも、やはり大変な反響である。だが、当時はまだそれほど交通の便もよくなかったため、採れてから宅配しても2日はかかる。鮮度が落ちてしまうから、思うように売ることができなかった。そこでわかめを軽くボイルして塩蔵し、日持ちするように加工した。カリカリという独特の食感を失わないよう、絶妙なゆで加減を編み出して、年を通じて販売することが可能になると、鐵五郎さんは友人関係を頼ってあちこちに売り込みをして歩きはじめた。水沢のホテルの料理長には箱で持って行ったものの、「こんなにいらない」と断られ、一袋だけ手渡した。するとその翌日にはすぐに料理長から連絡があり、「すぐに箱で持ってきて!」と注文が入ったことも。料理長は「たくわんでも食べているかのようにカリカリと音がする、こんなわかめは初めて。感動した」とまで言ってくれたのだといい、水沢プラザインホテルでは今でも鐵五郎さんの早採りわかめがメニューにある。こうして鐵五郎さんが自分の足で早採りわかめの魅力を伝え歩いたことが功を奏し、早採りわかめは徐々に市民権を得ていった。


商標登録を済ませた綾里湾の味
東日本大震災では鐵五郎さんも被災している。舟を失ったのだ。だが、ちょうどその年の収獲はすでに終わっていて、大きな被害にはいたらなかった。11月にはまたわかめを仕込み、翌年1月の収獲に備えることができた。
ここでも地道にこつこつと復興に向けて働いていた鐵五郎さんのもとに、ある日突然復興庁の人がぞろぞろとやってきた。実は『鐵五郎の三陸わかめ』の名前も、復興庁の人がつけてくれたものだ。2017年には商標登録も済ませ、綾里湾のわかめブランドとして確立された。地道に、地道に、コツコツと売り込みを続けてきた鐵五郎さんの想いが、やっと形になったのだ。

水で洗って、そのまま食べてもいいし、ポン酢や醤油などお好みの味をつけてもいい。味噌汁のように火を入れても、じゃっかん柔らかくなるもののカリカリの食感は変わらないという。歯ごたえがあるのでダイエットにもよさそうだ。「この間買ってくれたお客さんはワカメごはんにすると言ってたのす。おらほ(私たち)よりお客さんのほうがいろいろな食べ方を知っでいる」と笑う鐵五郎さん夫婦。「わかめはどこへ行っても同じと思われているけれど、ウチのほうのわかめは歯ごたえが違う。一度食べてみたら違いがわかるのす。いぐら茹でても食感が変わらないから、いろいろ試してみて」。有名になってもなお、熱意は変わらない。